クイズについて

クイズプレーヤーでない人間が、2020年9月7日のゲンロンカフェを観て考えたことやそれまで思っていたこと・疑問を、再放送を受けて自分の覚え書も兼ねて書いたものです。広いクイズの世界へ誘ってもらったと信じて。

 

・女性の比率

クイズ番組を観る程度しかクイズに触れてこなかった身としては、そもそもクイズ界が20・30歳代の男性が中心*1だったことを初めて知りました。テレビに出るクイズが強い芸能人といえば男女ともに思い浮かぶので、画面を通して私が見ていたのは切り取られた側面だったのだと驚き。

そこで疑問、ゲンロンカフェの配信の中で、「今のクイズの問題が男性向け」といった発言があったけれども、クイズにあまり触れていない者からすると、何をもって「男性向け」だと表現されたのか?

また、いわゆる女性向けと表現される題材の問題はスルーされるから出せないのではなく、そういう問題が出ないから対策されないという視点も必要かと思いました。ただ、問題を出せば正解するために勉強するでしょ、とまで言ってしまうのは暴論かもしれません。

これはクイズにおいてだけでなく幅広く、「男性向け」「女性向け」という考えがもっと小さくなっていけば、作問の幅が広がり、まだ見ぬ問題に出会える可能性も広がり、解答できる人が増えていくのではないでしょうか。そうした「新しい」を取り込んだクイズの未来は、本当に「世界」丸ごとが資源となり、もっと明るくなると思いました。

 

・上記と絡めた問題の難易度の基準と作問の難しさ

「この問題の正答率はこれくらいだろう」というのは、何を根拠として判断しているのか気になりました。

自分の詳しくない分野で問題を作るのは難しいけれども、クイズをやっているから「これくらい」という感覚が掴めるのであれば、作問が最も難しく、作問における手引書のようなものが読んでみたいです。

クイズの難易度の設定基準というのが、クイズをやる人の感覚に任されるのであれは、作問する人の知識と、参加する人をどれほど理解しているかが重要かと考えています。

新しく作問するときの難易度の設定について、こういうときと近いプロセスだろうかと思ったものを示しておきます。

家に複数人を招いて手料理をふるまうとき、

  • 招いた人の好き嫌い、食べられる量
  • 食べる場の設定(お祝いなのか、お酒を飲む場か)
  • 自分の技術や持っている調理器具から決まる作れるものの範囲
  • 調理にあてられる時間

を考えて調理するので、作問においても、作問者の持っているもの(知識や配慮)と解答する人の知識量、そのクイズが披露される場が影響するのだと考えています。

先ほどの女性比率の話にもかかわりますが、作問者も解答者もいわゆる女性向けというジャンルに詳しくなければ、難易度の設定が難しく、それによって出題されず、出題されないので対策もされないというループがある可能性を考えています。クイズが性別に関係ないものであるとするなら、解答者だけでなく作問者にも女性比率の増加が必要ではないでしょうか。

 

・知識おける常識の範囲と、無知という視点欠如の反省

物事に対する自分の知識が、一般的な範囲なのか、詳しい人の分類にあたるのかという判断がきちんとできていなかったと気づきました。この判断ができていないと他者に物事を分かりやすく伝えることができないので、改善したいところです。

きっかけは、「みりん」がスルーになったことに対する山上さんのツイート*2です。

日頃クイズをしていないが、調理関連について専門の勉強をした私は、

  • てりをつける調味料はみりん、かつその代替で用いる単体の調味料がない
  • 焼酎から作られるものは分からないが、本みりんはアルコールを含んでいる
  • 黄色くとろみのある甘いものとして思い浮かぶのははちみつもあるが、はちみつは日本食品標準成分表において甘味料の分類である

という自分の知識から「みりん」だと判断したけれども、この知識が常識かどうか分からなくなっているとはっとしました。また、自分が知らない調味料があるかもしれない、という視点が欠如しており、自分の無知の知らないことは怖く、反省しました。

 

・暴力性

伊沢さんの述べられた暴力性とは違うものですが、「自分が知らないことを知っている」に憧れを抱くか、嫉妬を抱くかということを暴力性に近いものと感じています。

趣味ってそうなりがちな気がしています。楽しんで取り組んでいたはずなので、その分野で優れた人を見ると、尊敬と嫉妬でぐちゃぐちゃになる自分がいるので。そんな自分をコントロールしていきたいです。

 

・クイズノックで初めて知ったこと

身近にあったクイズについて、その奥深さをクイズノックから知ったことがいくつかあります。そのうちの三点だけ書きます。

一つ目に、解答に辿り着く過程が緻密であること。

早押しクイズにおいて、「問題文の途中で分かったから押す」というのは理解しているけど、自分が「分かる」という判断は何をもってなされているのかまで考えたことがありませんでした。クイズノックの動画では、何故解答に辿り着いたのかが見える化されているため、感覚ではなく知識と経験に基づいて「分かる」が判断されていると知りました。

二つ目に、作問の労力。

0文字クイズに衝撃を受けたのは、一つ目に挙げた解答に至る過程が見えることと、解答できるように作問しているということでした。作問が簡単にできることではないと感じたと同時に作問者の存在がいかに重要かを知りました。

最後に、クイズは正解されるためにあるという大前提。

正解できるという喜びを共有する楽しいものであるのに、いつの間にか勝ち負けを決めるものだと勘違いしていました。答えられないクイズを作ることが良しではないと気づき、作問者へのリスペクトをまた抱いています。

 

以上です。何事も掘り下げると広い世界が見えてきて面白く、これからもそっと見ていきたいと思っています。